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更新日 2017-04-21 | 作成日 2016-09-28

雑誌一覧


今まで翻訳した雑誌記事の一覧です。
雑誌記事は沢山ありすぎてずいぶんと忘れてしまいましたが、少しずつ思い出しながらリストにしてみます。

主な雑誌執筆歴

  • WAX POETICS JAPAN
  • スタジオジブリ 月刊誌「熱風」連載記事
  • 時事英語研究(デイヴィッド・クローネンバーグとのインタビュー取材)
  • カナダ航空機内誌
  • 季刊カイエ・デュ・シネマ・ジャポン
  • 月刊イメージフォーラム
  • 他 多数




雑誌「WAX POETICS JAPAN」

Wax Poetics Japan(ワックスポエティックス・ジャパン)は、アメリカで人気の雑誌。
ソウル、ファンク、ジャズ、ヒップホップを中心に、質の高い読み物になっています。
私も、毎回、1、2本の記事を翻訳しています(下記が、翻訳した記事です)。
音楽ファンの方は、とっても質のよい雑誌なので、是非、手にとって読んでみてください。
全国書店で販売されています!

翻訳記事 バイオグラフィ

NO.15 2011.04
「Charles Stepney」
ステップニーは他者のために蟻のように働く男である。レーベルとの4年ほどの付き合いの中で、ラムゼイ・ルイスをプロデュースし、マディー・ウォーターズをR&B 界に進出させ、フィル・アップチャーチのイメージ向上を計り、さらにロータリー・コネクションを始動させるなど、様々な業績を残した……テリー・キャリアーの証言によって浮かび上がる、天才プロデューサー=チャールズ・ステップニーの偉大な功績。2号連続特集、その後編。

NO.14 2011.02
「Charles Stepney」
今は亡きチャールズ・ステップニーの、トレードマークと言えるサウンド——豊かで優美なバロック音楽の要素に加えた何層ものボーカル・アレンジや、電子音をいち早く前衛的に用いた濃密な音——は、どのジャンルのプロデューサーと比較しても、ひときわ独創的なものだ。ステップニーはマーシャル・チェスに見込まれ、レーベル再建の主要戦力としてChess Recordsに迎え入れられた……天才プロデューサーの偉大な功績を振り返る特集、その前編。

NO. 13 2010.12
「Iceberg Slim」
数多くのラッパーから崇拝されているアイスバーグ・スリム。本名ロバート・ベックが小説『Pimp』を書き始めたのは1965年、47歳のときだ。『Pimp』はベックのかつての稼業を描いた作品である。しかし、80年代になると彼は人前に姿を見せなくなる。もともとゲットーでは伝説的な存在になっていたが、姿を消してからはさらに事実よりも神話が1人歩きするようになった。ロバート・ベックとはどのような人物だったのか? ワックス・ポエティックスは彼の人生を深く掘り下げる事に成功した。


NO.12 2010.10
「Creed Taylor」
「ジャズ評論家は好きな人種じゃない。私だって彼ら好みのプロデューサーではないだろうがね」。70年代を代表するジャズ・レーベル、CTI Recordsを創設した伝説のプロデューサー、クリード・テイラー。彼は今マンハッタンの自宅近くにあるレストランのテーブルに腰をかけている。御年80。その姿はかつてレコーディング・スタジオにおける“鬼才プロデューサー”や“独裁者”の異名を取った人物とはとても思えないほど礼儀正しく、温かみがあるものだ。



NO.11 2010.08
「KRS-One」
彼はスプレー缶のノズルから生まれた。ホームレスになってからは、ヒップホップをシェルターにした。13歳で家を飛び出して以来、例えば倍の年齢の男でも簡単に押し潰されるほどの過酷な路上生活を送ったのである。時は1978年。サウスブロンクスは、ポン引き、ドラッグの売人、麻薬中毒者がはびこるエリアだったが、彼は公立の図書館で哲学や宗教の勉強に励んだ。図書館を出ると路地の壁にグラフィティを書いた。そこに書いたのは本名ではなく新しい名前——KRSワンだ。


NO.10 2010.06
「Fela Kuti」

アフロビートの創始者であり、ナイジェリアの英雄であるフェラ・クティ。アメリカ本国へ渡ったフェラ・クティ本人が受けた衝撃や葛藤を事細かく記載。マルコムXの影響や、どのようにアフリカ回帰をしたのか。85年に出版された有名なフェラ・クティに関しての書籍「This Bitch of a Life」からの抜粋。「1963年にイギリスから帰国したあと、俺はナイジェリアのラジオ局NBCにプロデューサーとして就職した。ひどい仕事だった。でもその傍ら、俺はレコードに没頭し、アフリカの音楽を聴きまくったり、バンドを結成して活動していた」

NO.9 2010.04
「Cey Adams」
セイ・アダムスがグラフィック・デザイナーとしてラッセル・シモンズに雇われたのは1982年。それ以来アダムスは、Def Jam Recordingsのアルバムのジャケット、コンサートのポスター、プロモーション用グッズなどを数え切れないほど手がけ、デザイン面からラップを支えてきた。



NO.8 2010.02
「J Dilla」
おそらく彼の心の中にはこんな思いがあっただろう。「俺のビートで圧倒してやるぜ」。けれどもそういう感情が表に出ることは一度もなかった。ジェイ・ディーと親しかった人々と話をすると、その口から出てくるのは、彼がいかに謙虚で誠実で、しかも斬新な発想と独創的な思考に富んだ人物だったかということばかりなのだ。残念ながらジェイ・ディー(別名/Jディラ)はこの世を去ってしまったが、70年代終盤に始まったヒップホップの歴史を振り返ったとき、彼は最高のプロデューサーだったのではないだろうか?おそらくそうだ。

NO.7 2009.11
「Phase 2 グラフィティのパイオニア」
ヒップホップカルチャーの中で、ラップ、ストリートダンス、そして、グラフィティから始まったグラフィティの3つが、大きな柱をなしています。
ニューヨークの地下鉄などで、落書きされたなどの記事が一時期話題となりましたが、その中で今まであまり取り上げられてこなかったグラフィティの歴史、そして、そのパターンを今回わかりやすく取り上げています。


NO.6 2009.09
「Daily Operation: Lord Finesse 新たな音楽をつねに探求し続けて」
David "Fathead" Newman Lone Star Legend テキサスの伝説的テナー。
テキサス州、とりわけダラスやフォートワースは、これまで数々の偉大なテナー・サックス奏者を生み出してきました。
例を挙げればきりがないのですが、デヴィッド“ファットヘッド”ニューマンもそういった名プレーヤーの1人です。



NO.5 2009.07
「Master of Ceremonies: Eddi Cheba」
クラブシーンを熱狂させたMCのパイオニア。
クラブDJがまだ脇役であった頃に、すでにEddi ChebaのDJプレイは、多くのオーディエンスから熱狂的な支持を受けていました。
ヒップホップレーベルのデフジャムの創始者ラッセルシモンズが駆け出しの頃、小僧として見ていなかったなど、その存在感の大きさは、圧倒的です。



NO.3 2009.03
「12X12 TWELVE BY TWELVE BY DANNY KRIVIT」
DJ DANNY CRIVIT インタビュー記事 [訳]菊池淳子 発行 GruntStyle Co.,Ltd.
ハウスDJとして日本でも大人気のDANNY KRIVITの音楽に対する思いを語ったインタビュー記事を翻訳いたしました。



雑誌「うえの」 NO.591 2008.07月号

「不忍池の夏」
ドナルド・リチー [訳]菊池淳子 上野のれん会

ドナルド・リチーの寄稿エッセイ掲載。
1959年(昭和34年)の創立以来この地の文化的伝統の再発見をめざして、タウン誌「うえの」に、情緒溢れる文章が寄せられました。

雑誌「うえの」 NO.583 2007.11月号

「不忍池のほとりのエドワード・サイデンステッカー」
ドナルド・リチー [訳]菊池淳子 上野のれん会

日本文化研究の第一人者サイデンステッカーを偲んで寄せられた追悼文です。



小冊子「熱風」 スタジオジプリの好奇心

連載「映画のどこをどう読むかII」 ドナルド・リチー [訳]菊池淳子 スタジオジブリ出版部

ドナルド・リチーの連載。同氏は、1946年に来日して以来、40年近い年月の大半を日本に在住して、日本映画を世界に紹介するパイオニア的な役割を果たしています。
  1. ストーカー(2006.10)
  2. 愛のコリーダ-(2006.12)
  3. 木靴の樹(2007.2)
  4. エルミタージュ幻想(2007.4)
  5. マルメロの陽光(2007.6)
  6. 幻の光(2007.8)
  7. 童年往事 時の流れ(2007.10)
  8. サタンタンゴ(2007.12)
  9. ジャンヌ・ディールマン コメルス海岸通り23 1080 ブリュッセル(2008.02)



イメージフォーラム  1992年3月号

セルロイド・サンライズ 「BBCがみた日本映画」 [採録・訳]菊池淳子 (ダゲレオ出版)


グリーナウェイ (ビデオ)「TVダンテ」

月刊イメージフォーラム1月増刊号 13巻2号 (ダゲレオ出版)
[特集] グリーナウェイ
[監編著訳] 服部滋(編集) 
[発行所] ダゲレオ出版 [シリーズ名] 月刊イメージフォーラム
[発行年] 1992年 [版刷] 2刷 通巻144号
[構成数] 1冊 [サイズ] A5 [ページ数] 180P


季刊カイエ・デュ・シネマ・ジャポン

1992年4月号 「裸のランチ」特集 (フィルムアート社)
クローネンバーグ/インタビュー
ヘロイン・タイムーそれが「裸のランチ」に流れるリズムじゃないかな
インタビュアー=菊池淳子
(1992年3月10日、トロント市クローネンバーグ・オフィスにて)